子供の頃に母親から耳元に囁かれ、眠りについたお話に誰しも「浦島太郎」の物
語があるだろう。おとぎ話のようだと思っていたこの話が、実は現実になったのは
両親の他界、残された実家に訪ねた時の事。今はだれも住まず家だけが昔のま
ま。時折訪ねては、家に入り周囲を掃除し、仏様に水をやる。草とりをしながら、石
を見ながら自然と両親の健在だった頃が脳裏に浮かび上がる。当時、その場に登
場した今は亡き人達の素顔やさりげない仕草など、蒼く澄んだ空、その中に自分
の涙が吸い込まれていくようだ。そうか、時が経ったのだな、・・・・当たり前のこと
だが深く思う。「光陰矢のごとし」、誰しも知っている諺のとおりだ。
先日、妹からメールが届き、「父母の法事で来日した際には、とあるホテルを宿
泊場所に決めた」と書いてある。実家に泊るならお布団の準備や掃除をしておき
ますという問いかけに、誰もいない実家には淋しいので泊ることなど考えつかなか
ったと一言書いてあった。やはり昔を回顧したくないに決まっていると思う。「でも気
を使っていただいてありがたい」とも書いてあった。
毎日が浦島効果で「むなしい」、実家など処分してせいせいしたい。しかし、両親
の血と汗の結晶である財産を守る事に自分の意志は働いているのも事実。下手
に動けばこの世相では、うまい話に乗せられて詐欺の物件にされてしまうだろう。
建設的な事を3年間考え続けたがいまだに解決策は見いだせない。確かに今は
その時期ではないのかもしれない。当分はこのままで行くしかない。今は実家の事
は忘れたい。浦島効果が発生しないようにするには、思い出の場所を現実の世界
から消し去ることしかない。それでも決して消せない記憶が厳然と残る事だろう。
「むなしさ」を「むなしさを楽しむ」生き方に転換しようと思う。こんな「浦島現象」に
悩んでいる人達も世の中には多くいるだろうと思う。
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