日記の表現

 急に父親の記述した日記の事を思い出した。何月何日、何時何分。出来ごとの報告のような日記だった。一切私見が語られていない。どんな思いで、物事に対していたか?感情的な表現が一切ないのだ。予定表の様な書き方だ。完全に第三者の立場で記載する。まるで報告書のようだった。覚えている限り70年以上、手帳に細かく一日の出来事が記載されていた。時々、父がいない時に盗み見したが、子細に書かれていたのを覚えている。
 父は第二次世界大戦で中国の北京近くに派遣されていたが、まるで父の日記は上官に提出する報告書のように書かれている。事実だけが記載されている日記、敵が読んでも、それを書いた人の感性や感情が一切分からない。本能的に敵から身を守る事、多分、戦時下で身につけた護身術なのだろうか。それとも軍部の厳しい言論の弾圧の中で不必要な文言を書かない習慣が身についてしまった為なのかわからない。
 それに比べて、敵にすべてを読まれてしまうこのBlog・・・、自分だけが平和なだけなのか?危険な人間開示のBlog・・・なのかもしれない。
よく父が言っていた事を思い出したが、「お前みたいなものは、敵戦に行けばすぐに撃たれるよ。」性格的にすぐに飛び出してしまう感性と行動パターン、これがチョこっと危険な性格なのだろうと思う。
 最近、見知らない人達の中で上手に自己開示をする事を目標にしている。子供の頃は喫茶店に入ると周囲が気になり、自意識過剰になり下を向いたままでコーヒーを飲んだ事がある。何時しか他人の事が気に入らなくなり、自分の空間を持てるようになった。時とすると、自分が上手に表現できず落胆したこともある。今はそれが無くなった。

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