家の片隅におかれたサツマイモから芽が出ている。自分みずからを種として、芽を出しツルを
伸ばして太陽のエネルギーを取り入れ、生長する。やがて芋を増やす。
こんな所でも、条件さえ合えば、本来のDNAの指示に従って生きようとする。与えられた
ポテンシャルをそのプログラムに従って展開する。芋言語があるなら、何か語りながら成長
してゆくのであろうが、その様子は人間には聞こえない。唯、元気がいいか、ツルの張り、
おさまる」というのがあるが、
素直に何のためらいもなく、
与えられた環境下にそれなりの
対応をして行く。そこに美を感じ
素敵なおしゃれを感じる。
とかく 自分流を入れたがる
のは、結局不自然で、不合理
な展開になる。
この世の中には、自分流が横行し、素直に生きることを否定し、何か青い鳥を求めるあまりに
知恵が災いして、人工的は価値観しか持てなくなってしまう事が多い。自分のDNAは決して
変えられないのに、理屈をつけ、作文をしてその場を繕うことになり、「本当は 嘘をついてる
事になってしまう」のだ。ある程度のおしゃれ、化粧は必要、お金儲けも良い。
しかし、故意に、作為的に生きるのは・・・・・すこし違うのでは と芋言語は語っているような
気がした。写真はマクロで撮影した。
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