火遊び

小学生が公園で火遊びをした。土曜日に火遊びをした学童と父兄が小学校に呼ば

  

れて注意をされたそうである。最近の子供にとって火遊びは面白いのだろう。

  

まだ幼少の頃、火遊びは日常茶飯事のことであった。

  

 最近、空き地が減り、ごみを自宅で焼却する事は条例により禁止されている。

  

子供も火を燃やす機会がない。オール電化の時代になり、またガスコンロなど

  

で料理し、外で焚火をするなどという事はまずないに等しい。そんな折、上級生

  

が火遊びをしていれば下級生は興味津々になるのは否定できない。きっと、

  

ライターで紙に火をつける事はスリルがあったのだろう。

  

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歴史の教科書に旧石器時代の火の熾し方が載っているが、今ではめったに摩擦

  

して火を熾す事などしないだろう。マッチがそれに代わり、電気で火花を散ら

 

しガスに着火する。太陽光で凹面鏡に光を集めて着火し、或いは凹レンズで

 

太陽光を集めて黒い紙を燃やした事が懐かしい。

 

苦労して火を熾す、その大変さ、その有用性をしみじみ学習しないで、安易に

 

火を扱える時代、だからこそ、火の怖さを知らない。だから、容易く火遊びする

 

ようになる。自然の中でもう一度今の子供達は火の怖さ、その便利さをしっかり

 

学習してほしい。

 

 記憶をさかのぼる事にしよう。3歳の後半ごろ記憶は定かでないが、近所で大火

 

があり、その時の恐ろしい思い出がある。昔の家は藁ぶき屋根で大きな家が多

 

かった。真夜中にトイレへ母親に連れて行っていただいた時の事であった。

 

200メートルぐらい離れた隣家の風呂場の軒下に、焚火程度の炎が上がった。

 

「お母さん、焚火しているよ」と私は母に言った。「え、あれは火事だよ・・・」

 

という母親。

 

しばらくすると火は母屋に移り、次第に太い炎となって屋根に燃え広がって

 

いった。そのすさまじい速さはいまだに脳裏をかすめる。生まれて初めて見た

 

火事の現場。それから母は父を起こした。父親がきちっとネクタイをして

 

起きてきた。

 

「こんな時にネクタイを・・・」と母は言ったらしい。父は律義な人であった。

 

しばらくしてから、火事の家から数人の人たちがあわてて出てきた。火は大きな

 

柱となって、真黒い空めがけて燃え上がり、近所の人たちが大勢出てきた。自分

 

たちの家に火の粉が飛んでくる。必死で何かをし始めた。しかし、闇に包まれて、

 

何をしているのかはわからない。

 

火は音を立てて燃え上がり、不思議な対流が起こり不気味な風が吹き始めた。

 

垣根の葉っぱがガサガサ揺れて、煙の焦げ臭いにおいが鼻をつく。

 

当時は消防自動車などなく、手押しのポンプ車が頼みの綱。しかし、来るまでに

 

時間がかかり、家は綺麗に全焼してしまった。その家は加治屋さんの家であった。

 

最後にお風呂に入った人が、薪を燃やし、そのままにして寝てしまったのが原因

 

だったと聞く。

 

当時、生まれ育った家も藁ぶき、類焼を被らない様に、池の中にありったけの

 

ムシロを放り込んで濡らし、屋根に敷き詰めた。大きな火の粉が音を立てて降っ

 

てくる。水を頭からかぶり、自己防衛に出るだけ。幸い、家の西側に防風林が

 

あり、火の粉はそこで阻まれ、自宅の屋根には届かなかった。「ご先祖さんが守

 

っていてくださる。」と防風林の垣根を見ながら母が言った。近所の家もすこし

 

だけ燃えたらしい。叩いて火を消し止めたらしい。

 

 次の日の朝、庭には消し炭のような、黒こげの太い墨のような木片が散らかって

 

た。すさまじい、火の粉のあと。山になるほど拾い、積み上げた。

 

それ以来、火の怖さは身にしみてわかる。恵まれた体験をさせていただいた。

 

火災を起こした家の人たちには申し訳ないが・・・・。

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